星空のミシェル
Puzzle Ⅱ 見えない星
Part Ⅰ
僕は2時間だけ仮眠を取るつもりでベッドに入った。ベティーはよく眠っている。そして、子ども達ももう眠っただろう。
チャラと船のメインコンピュータだけが起きて作業を続けていた。僕も作業を続けようとしたのだが、チャラが止めた。いや、正確に言うなら、強引に居室へと送還されたのだ。
――ミシェル、人は眠らなければいけません。作業効率が落ちるし、身体にリスクが生じます
理屈はそうだ。でも、今は1分1秒だって惜しい。この広い宇宙にただ1隻。座標も定まらず彷徨っているなんてどうにも落ち着かない。しかも、僕達は狙われている。あの子達には関係のない事なのに、こうして一緒にいる以上、事が起きれば巻き込んでしまう。
僕は、何としても彼らの命を守りたかった。帰るべき星を失わせてしまった僕の責任に於いて、どうしてもそれだけは遂行しなければならない。彼らへの罪滅ぼしとして……。許してくれないかもしれないが、僕は今出来る事を優先的にやっておきたかった。
だから、提示された睡眠導入剤を僕は拒否した。眠れるかどうかは未知数だけど、それくらいの自由を行使したっていいだろう。
僕は生身の人間なのだから……。
それから、どれくらいの時間が過ぎたのだろう? 僕は不意に何者かの気配を感じて目が覚めた。
僕が覚醒した事で枕元にあるコントロールパネルが反応して淡い光を放ち始めた。ベティーはまだ眠っている。しかし、僕は違和感を感じた。部屋の空気の密度が違う。誰かいる! 軽い圧迫感を感じた僕は薄く目を開けて周囲を見た。その正体は子どもだった。ドアとベッドの間に影がある。
「誰?」
僕が唇を動かすと、その影はさっと後ろに下がった。僕が反射的に身を起こすと同時に壁が発光し、部屋の中を露にした。僕は侵入者に銃を向けた。子どもとはいえ、油断は出来ない。メルビアーナの王族はあらゆる方法で暗殺されている。その犯人が子どもであった事も2度あった。思いたくはなかったが、あの子ども達の中に刺客が紛れていないとは言えない。しかし、今目の前にいる子どもはあの子達の誰でもなかった。
「君は誰? どうやってここに来たの?」
威圧的にならないように気を付けて僕は訊いた。
「名前は?」
「フィル……モラスエル」
おずおずと答える。
「年は?」
「9才」
「君も彼らの仲間なのか?」
少年はゆっくりと首を横に振った。
「何故、ここにいる? どうやって入ったの?」
「船の中が見たくて……。でも、すぐに帰ろうと思ったんだよ。でも、船が急に発進して……帰れなくて……。しばらく隠れてたけど、お腹が空いて……」
「なるほど。質量計が狂ってた訳じゃないようだね。でも、この部屋にはどうやって入ったの? 扉は施錠されていた筈だよ」
「開いてたんだ」
子どもは言った。
が、そんな事はあり得ない。扉の開閉はセンサーと登録された複数の生体認証をクリアしなければ、決して作動しないように設計されている。しかも、人間の意識レベルによって明るさを調整する筈のパネルも反応していない。僕の居室は厳重に管理されていた。もし、そんなに簡単に他人が入れるなら、僕はとっくに生きてなどいないだろう。
「ほんとだよ。扉はいつも開いているんだ」
金色掛かった瞳は震え、濃い緑色の髪が緩やかに波打って肩の辺りで途絶えている。そう。この少年の髪は緑色をしていた。僕にとっては曰く付きの色だ。
髪や肌や目の色は、その惑星の環境によって影響を受ける。でも、僕はまだ、こういった髪の色を持った人間を見た事がなかった。緑という鮮烈な色が、僕の網膜に強く焼き付いた。
「扉はいつも開いている?」
少年が言った言葉を、僕は反復した。フィルは頷いたが、背後の扉は閉まっている。
「僕には、その扉が開いているようには見えないのだけど……。君には開いているように見えるの? それとも、君が何らかの力を行使して開けるという事なのかな?」
「力……?」
少年は戸惑うように視線を泳がせた。が、僕は確信していた。フィルは能力者だ。彼がもし、厳重なセキュリティを突破して、ここに侵入出来たとするなら、それはルディオのような特殊な能力を持った人間に違いない。彼に出会う前の僕ならば、もう少し別の答えを導いたかもしれない。だが、あのファーストインパクトは忘れ難い。
「僕に見せてくれないかな? 君がどうやってこの部屋に入って来たのか」
宇宙船の中は約21%の酸素と約79%の窒素で満たされていた。が、今は僅かに酸素の濃度が増している。
「開いていると言うなら、外に出て行く事も可能なんだろう?」
少年は怯えたように頷いた。僕は素早くジャケットを身に付けると彼を促した。
「君がいつもしているように、この部屋から出て行ってごらん。そうしたら、僕もすぐに後を追って行く。そして、何か食べ物と飲み物を用意しよう。ここには食料になる物は置いていないからね」
少年は黙って背中を向けた。それから、扉に向けて手を翳す。次の瞬間、ロックは解除され、扉がスライドして開いた。僕は呆気に取られてそれを見ていた。まさか普通に扉が開くとは予想していなかったからだ。僕はてっきり彼が瞬間移動する者だと思い込んでいた。なるほど。人はこうした先入観によって判断を狂わされるのか。目の前でロックを外されたという事実より、フィルがテレポーターであると推理した僕の考えのずれによって、意識の矛先がずれて行く。それはなかなか興味深い体験だった。
「君はテレポート出来ないのか?」
フィルが頷く。どうやら、狂わされていたのは船のコンピュータだけではなかったようだ。あのルディオという少年に会ってから、僕の意識に変革が起きている。そんな予感がした。
フィルと並んで通路を歩きながら、何故か頬の筋肉が弛緩していくのを僕は感じた。
リビングに入ると、僕は彼に食事をさせ、話を聞いた。他の子ども達はまだ眠っている。僕は92分の間、睡眠状態にあったらしい。基準には足りないが、最初のサイクルが終わる時間だ。頭は覚醒している。濃いめのココアを飲んで少し情報を整理しよう。チャラはまだ作業中だったので、甘味料は好みで調整した。
「君はどうして宇宙港にいたの?」
少年がスープを飲み終えたところで僕は訊いた。
「ノボスエル首相の車がそっちに行ったから……。いつもと違う迷彩色のリムジンでカッコよかったの。それで、ぼくも急いで宇宙港へ追い掛けて行ったんだ」
「それにしては警備もしていなかったし、職員もいなかったみたいだけど……」
僕はさり気なく口にした。
「もう出発した後だったんだと思う。首相と他にも何人か偉い人が小型の宇宙船に乗って飛び立つのを見たもの」
フィルは真剣な顔で言った。
「僕が到着した時には一般の人達も見なかったよ」
「避難警報が出てたんだ。ラグリエ火山が噴火するって……。それで、職員の人達はみんな地下シェルターに向かったんだよ」
「君はどうしてシェルターに行かなかったの?」
「ぼくは宇宙船の中を見たかったし、もし火山が噴火しても、船の中なら安全だと思ったんだ。いざとなれば飛べるでしょ?」
フィルは少し元気になっていた。
「警報は火山噴火のために発令されたんだね?」
少年が頷く。
「それで、首相達は小型の宇宙船に乗って空へ行った。それで間違いはない?」
再び頷く。
フィルがもたらした情報は有益だった。
地下シェルターに潜った人達は恐らく助からなかっただろう。始めから安全ではないシェルターに人々を避難させ、自分達は真に安全な場所……空に逃げたのだとしたら……。首相達には、初めから情報が流されていた……。或いは、誰かにとって有用な命だけが選別されたのかもしれない。選ばれなかった沢山の命を踏み付けにして……。
それとも、僕の道連れとして選ばれたのか。620万は殉教者の数としては多過ぎるだろう。しかも僕はあの惑星の王ではないのだ。死んでいった者達はさぞかし無念だったろう。
いや、それは考え過ぎだろうか。僕の傲りだろうか。たかが僕一人の命と引き替えにするには、とても釣り合いが取れない。僕はそれほど価値のある人間か。もう一度初めから考えてみよう。
確かに僕は幼少期からメルビアーナの王となるべくして育てられた。が、それは偶然僕が緑の血を継ぐ者だったからではないのか。他の誰でも代替品になれる存在なのではないだろうか。
緑の髪の少年がじっと僕を見つめている。
「君は人の心が読めるのか?」
少年は首を横に振った。
「でも……」
そう言うフィルの表情が曇る。
「風なら、少しだけ読むことが出来る」
「風?」
僕は意味を測りかねた。
「あなたが考えている事はわからない。でも、悲しみだけは感じる。覗くと吸い込まれてしまいそうな、黒い大きな何かを持っているでしょう?」
「吸い込まれてしまいそうな黒い何か……。それじゃ、まるでブラックホールみたいだね」
それは何処から来るのだろう。耳の奥で感知する微かなノイズのような風の音なのか。それとも、この身体の中心にある器官の深淵から吹いて来るのか。
「ねえ、さっきは手を使わずに鍵を開けたね。あれはどういう原理?」
僕は別の質問をした。
「原理って何?」
少年は首を傾げた。
「扉の鍵を開けるのに、君は他の何も必要としない。でも、僕や他の人がそれを行うには、それを解くための鍵が必要になる。その鍵を君は体内に持ち合わせている。そういう事なのかな?」
「頭の中に風が吹くから……。ぼくはそっと手を翳せばいい。それだけで扉はいつも開いている」
「その風が吹く時、手や頭の中は熱くなる?」
フィルは頭を振った。
「何も変わらない。声が聞こえる事もあるけど、ぼくには、その意味まではわからない」
「コンピュータは使える?」
「少しなら……」
彼はそう答えたが、実際には、それこそが彼の本領だった。フィルは見た事もないプログラムを復元する力を持っていたのだ。もし、彼の協力が得られたなら、修理の時間を大幅に短縮するだろう。が、それは早計かもしれない。全く別のプログラムに書き換えてしまう事もあり得る。どうするべきか、慎重に進めた方が良さそうだ。
僕はフィルを連れてコクピットに入った。
「おはよう、チャラ。作業は捗っているかい?」
「やあ。ミシェル。おはよう。あまり眠れなかったようですね。その少年の影響を受けたせいですか?」
悪びれもせずチャラが訊く。
「僕は自分の意思で起きていたんだよ。この子はフィル・モラスエル。9才だって。登録しておいてくれる?」
「OK。それにしても、赤外線センサーも治しておかないといけませんね。これ以上クルーの数が増えては、また計算のやり直しになってしまいます」
チャラが言った。確かにその通りだ。が、重量の方は、これで誤差が無くなった。
「壊れてる」
唐突にフィルが言った。
「そうなんだ。この船は磁場の影響で複数箇所に不具合を生じてしまった。それで、僕達は今、急いで修理しているところなんだ」
僕は簡単な説明をした。
「ちがう。壊れてるのはロボットの方」
チャラの前に立ったフィルが続ける。
「右に少し影がある」
少年は一語一語確認するように言った。
「直せる?」
僕はそう尋ねてみた。それは期待からではなく、興味からだった。
「どうかな?」
少年は首を傾げてチャラを見つめた。それから、徐に右手を翳すと、もう一方の手をチャラのボディーに添えた。
すると胸に並んだ光点が明滅を始め、その体内で高速に動き始めた。一瞬止めようかとも思ったが、興味がそれを遮った。モニターに現れては消えて行く数列は確かに僕がかつて組み込んだ記号と合致していた。僅か1秒で数千もの数列が取り込まれていく。無論、そのすべてを視認する事など不可能だ。が、超速で流れる記号にはキーとなる順列がある。僕はそれを捉えて計算している。これ以上、チャラに支障が出ればそれこそ致命傷になってしまう。僅かな懸念も残しておきたくなかった。
27秒後、少年はチャラから手を放した。
彼自身も消耗したように肩で息をしている。能力を使うという事は、同時にある程度の体力を削る事と等しいようだ。
「終わった。でも、ぼくに出来るのはここまで……」
フィルは滲んだ汗を手で拭うと言った。
「ここまでとは?」
システムが再起動している間に僕は訊いた。
「ぼくに出来るのは一つ前の状態にすること。だから、鍵はロックされる前の状態に出来るし、このロボットも壊れる一つ前の状態にはできたけど、何回も細かく壊れたところは直せない」
少年が言った。なるほど。微細な信号の残滓を読み取って一つ前の段階に戻せるという事なのか。既に組み込まれたシステムならそれも可能だ。だが、人体にそれを察知する能力があるとは……。彼にとってはそれも個性か。もしかすると、それもまた人間の能力の歪な部分かもしれない。僕が他の人間とは違う血の色をしていたように……。
「再起動が完了しました」
結果、6.7%の機能が回復していた。凄い。これで作業が大幅に短縮出来る。僕はフィルに感謝した。
「もっと直せるとよかったんだけど……」
「構わない。これでも十分過ぎるくらいだ。本当にありがとう。これでおよそ10時間の節約になる」
そう。今は何よりも時間が欲しい。敵が来る前に船を万全な状態にしなければならないのだ。
その時、アラーム音が小さく響いた。赤ん坊が目を覚ましたらしい。僕はフィルと一緒に居室に向かった。彼一人をコクピットに残して置くには不安を払拭し切れていなかった。
居室に戻ると、僕はベティーのおむつを替え、栄養を強化したミルクを与えた。
「女の子ですか?」
フィルが興味深そうに見つめる。
「ああ。ベティーって言うんだ。君の兄弟はいないの?」
「多分」
少年の答えは曖昧だった。
「ずっと施設にいたから……わからない。えーと……あなたには兄弟いるんですか?」
少年は少し言い淀むように間を開けて訊いた。
「呼ぶ時は、ミシェルでいいよ。それに、質問は禁じていない。兄弟については、実は僕もよくわからないんだ。両親はいたけど、すぐに別れてしまったからね」
それは本当の事だった。王の候補は他にもいた。一部であるにしても同じ遺伝子を継ぐ者かどうかについて、情報は開示されていない。大学でもメルビアーナからの留学生は僕一人だったし、それについての噂も聞かなかった。そもそもメルビアーナが辺境の星だから、世間に知られていないという事もあるのだけれど……。兄弟か。それはどんな気分なんだろう。
ロンとベティーは兄妹だ。ロンは妹の事が心配だと言った。
でも、他の誰であっても、子どもが危険な状態にあれば、心配になるのではないだろうか。可愛いという表現も同じだ。小さくて、未熟な赤ん坊は常に誰かの庇護を必要とする。身の安全を維持するため、対峙した相手に自分に特別な愛情を抱かせ、守りたいという感情を起こさせる必要がある。小さくて可愛いものを、人は愛し、守りたいと思う。
つまり、保護して欲しい相手に、自分を可愛いと思わせる事が出来たならミッションはほぼ成功したと言える。僕はベティーの事を可愛いと思う。つまり、彼女の戦略は既に成功していると言える。
他の子ども達に対しても、僕は可愛いと思い始めている。そんな中でも、赤ちゃんは最強だ。ベティー、君が王女様だ。僕は腕の中で笑っているベティーを軽く揺すりながら微笑んだ。
「兄弟ではないけれど、ここには君の他にも7人の子ども達がいる。きっと仲良くなれると思う」
そして、朝食のテーブルで、僕はフィルをみんなに紹介した。
「フィル・モラスエルです」
しかし、他の子ども達の反応は冷めていた。
「また自己紹介すんの?」
エミールが顔を顰める。
「えーっ? 昨日もやったじゃん」
ハロルドもそっぽを向いて言う。
「めんどくせえな。やめようぜ。時間の無駄」
ジャンが掌でテーブルを叩く。
「でも、フィルにとってはみんなと会うのは初めてなのだから、名前と年齢くらい教えてあげてもいいんじゃないかな? コミュニケーションするにも相手の名前がわからないと不便だし……」
みんなを見回し、説得するように言った。
「ぼくはトビーです。12才です」
礼儀正しいトビーが真っ先に言った。
「あ、ぼくは9才です」
フィルが慌てて言うと、トビーは頷いた。
「ぼくはロン。5才。ベティーはぼくの妹なの」
「うん。可愛いね」
フィルが言った。二人共いい笑顔だ。
「おれはジャン。年は15」
「わたしはエミール。14。そんで、そっちの無口なのがリンチュン。確か年は7才だったよね?」
リンチュンが頷く。
「じゃあ、みんな仲良くね」
そう言ったけど、誰も返事をしなかった。
「それよりさあ、作業始めなきゃなんでしょう? さっさとやろうよ」
エミールがせかす。
「そうだね。助かるよ」
むずがり始めていたベティーをあやしながら、僕は子ども達と移動した。
まずは全員で中を見学してもらい、バイオルームでやる仕事について説明し、運搬係の子達に倉庫の場所と作業手順を教えた。無論、それはハロルド達にも出来る単純な作業だったのだが……。
「ぼく、あっちで遊びたい!」
説明の途中でロンが言った。
「ここ、つまんないよ。バイオルームの方がいい! ぼく、あそこの土でどろだんご作りたい!」
「おれも! あっちにはいろんな花や果物がなってたし……」
ハロルドも同調する。
「あの泥は培養土だ。遊びたいのなら、あとで粘土を作ってあげる。でも、今は作業を優先してくれないと困る。命に関わる事だからね」
僕は二人を宥めた。
「ねんど? ほんとにあとで遊んでもいい?」
「おれ、赤いのと青いのと黄色い粘土が欲しい」
二人が主張する。
「OK。何色のでも作ってあげるから、今は……」
「わかった」
それで二人はようやく引き下がった。
「わたし達はこっちだったよね」
エミールとリンチュンは大人しくバイオルームに入って行った。作業工程も納得してくれたので大丈夫だろう。
あとはジャンとトビー、そしてフィルだ。僕はベティーを抱え直すと言った。
「じゃあ、君達は僕と来て。プログラムを組もうか」
「新入りも一緒なのか?」
ジャンが訊いた。新入りといってもまだ10時間も経っていないのだけれど……。
「そうだよ。プログラミングは君達3人に手伝ってもらう」
僕は使い方を説明し、それぞれに必要な機器を与えた。トビーは早速作業に掛かった。が、ジャンはじっとモニターを睨んだきり動かない。
「何か質問があれば訊いて構わないよ」
そう言ってみたが、彼は黙っている。
「あの……」
フィルが言った。
「接続されたコンピュータに影があります。直した方がいいですか?」
「ああ。出来たら頼む。少しでも時間を節約したいから……」
僕が促すと彼は再びその端末に手を当てた。目まぐるしく数値が変わり、点滅を繰り返すランプの群れが高速に動く。少年の手も微かに光を帯びているように見える。
「何やってんだ? こいつは……」
ジャンがそれを見て叫んだ。
「言い忘れていたけど、彼にはコンピュータプログラムに関与し、影響を与える事が出来る特殊な能力があるんだ。チャラの修理も手伝ってくれたんだよ」
「何だよ。だったら、俺達必要ないじゃんか」
ジャンが喚く。その声に驚いてベティーが泣き出す。僕は慌ててその背を軽くとんとんと叩いてあやす。
「そうですね。それなら、フィル一人で十分かもしれない」
トビーまでそんな事を言い出した。
「でもね、彼の力は限られている。すべてを元に戻せる訳じゃないんだ」
僕は説得するように言ったが、ジャンは聞かなかった。
「やめた。元々俺、こんなの苦手だし、やる気もなかったんだ。あんた達だけでやれよ」
ジャンが認証パッドを放り投げた。それを見てベティが笑う。さっきまで泣いていたのに、何が面白かったのだろう。僕は床に落ちたパッドを拾うと赤ん坊の前でひらひらと振った。彼女の機嫌が直ったので、僕はパッドを机に戻して言った。
「それは違うよ、ジャン。これは精密な作業だ。常に齟齬がないか人間の目でチェックする事が必要なんだよ。いくら科学が進んでも、優れた性能のコンピュータが現れても、最初のプログラムを行うのは人間だからね」
その時、ハロルドとロンが来てこっちを見た。
「君達はまだ作業中の筈だろう?」
「もう終わったもん」
僕が声を掛けるとロンが言った。
「そうかな? でも、まだたった27分しか経っていないよ。15分の休憩を2度挟んでもあと40分は掛かると見積もっていたのだけれど……」
「おわった!」
ロンは言い張った。
「それにさ、バイオルームの連中だって花で冠作って遊んでたぜ」
ハロルドが言った。
「花で冠だって?」
確かに癒やしの空間としても使われるバイオルームには花壇もあった。が、それはいざとなった時、食料にも転用出来る食用の花だ。僕はベティーを抱いたまま、フィルとトビーをチャラの元に残し、バイオルームに急いだ。ジャンも付いて来た。
リンチュンは花壇の隅に座り込んでいた。エミールは花で編んだ冠や首飾りを並べて得意がった。
「案外上手いだろ? ほら、ベティー、花飾りだよ」
彼女は赤ん坊に花のブーケを持たせた。でも、ベティーはお気に召さなかったらしく、2、3度大きく振ると床に投げた。
「エミール、僕が説明した事、聞いていなかったのか?」
「ああ、聞いてたよ。でも、そんなの時間が出来た時、ちょちょいとやっちまえば問題ないだろ? ほら、冠」
エミールが花の王冠を僕の頭に乗せた。
「なかなか似合ってるじゃん。ミシェル王子」
皮肉に言った。が、僕は本物の王冠を持っている。それを知ったら、この子達はどう思うのだろう。形だけの敬いを表明するのか。蔑むのか。あるいは、そのどちらでもない態度を取るのか。冠とは、この子達にとってどんな意味があるのだろう。
「ねえ、ぼく、ベティーと遊びたい!」
ロンが僕の腕を引っ張る。
「ベティーが君の妹だから?」
あえて、そう訊いてみた。
「ううん。わかんない。でも、遊びたい!」
ベティーもそちらに両手を伸ばす。僕は赤ん坊をロンに渡した。
「あまり花を散らしてはいけないよ。これはいざとなった時、食料にもなる物だからね」
「へえ。この花、食べられるの?」
ハロルドが毟って口に入れたが、すぐに顔を顰めて吐き出した。
「うえっ。まずっ!」
「汚いな! 吐き出すなよ」
エミールが文句を言う。
「どうやら、もう一度説明しなければいけないようだね」
僕がそう言い掛けた時、ジャンが遮った。
「そんな必要ねえよ。みんなあいつにやらせればいいんだから……」
「あいつって?」
エミールが問う。
「あのフィルって緑色の髪した野郎さ。あいつ、能力者だったんだぜ」
「能力者?」
皆が興味津々で見る。
「そうさ。手を使わずにコンピュータの壊れたとこなんか直せるんだ。この船の修理だって、みんなあいつにやらせりゃいいさ」
「ジャン。それは無理というものだよ」
僕は言った。
「何でだよ。さっきは直してたじゃん。俺、この目で見たんだからな」
「フィルの能力にも限界はある」
「でも、俺達素人がやるよりはずっと早いんじゃねえの?」
その理屈には一理あるかもしれない。僕はざっと頭で計算してみた。が、やはりこの子達の力を借りた方が、結果的には早くなるという結論に達した。
「このままでは君達だって困るだろう? 船を直して一刻も早く座標を確認し、何処かの惑星に降りなければ……」
「パパやママの所に帰れる?」
すかさずロンが訊いた。
「それは……」
僕は返答に詰まった。
「帰れるにしても帰れないにしても、船を直さなければ何も始まらない。それに……」
敵が来るかもしれないのだ。一刻も早くエンジン並びにレーダー、そして武器の系統も点検しなければ……。危険が迫っているのだ。僕は焦っていた。
「そうだよ。もし、食料が尽きちまったら……」
ジャンが言った。
「宇宙船の中で飢え死にだなんて真っ平だからね」
エミールが顔を顰める。
「それにさ、もし、あいつが食料をみんな独り占めしたらどうするの?」
ハロルドが心配そうに言う。
「それもあるかもな。相手は能力者だからな。俺達は俺達で食い扶持を確保しねえと……」
ジャンも言い出す。
「よし。わたし達だけでも団結しよう!」
エミールが言った。
「協力するのはいいけど、対立はいけないよ。ここはみんなで助け合って乗り越えて行かなければ生きていけないのだから……」